2011年6月14日火曜日

HOI AN






























列車に乗って到着したのは 中部最大都市ダナン
そこからバイタクで 旧市街 ミーソン有するホイアンへと向かいました

17世紀初め  長崎や平戸から出帆した朱印船が目指し 求めたもの
そのひとつが このホイアンでした











































いまでも 18世紀後半以降の木造町屋郡が残り 
その ゆるやかな「町」の流れをつくりだしています

つらなる二階建ての建物  その高さはどこか落ち着きがあり
その上に広がる空と 近くを流れるトゥボン川 
小さな港町の力強さをあらわすのに それらのバランスはちょうどいいものであったように思います

家々の間には小さな路地が  どこへともなく続いていて
談笑する老人や       路地に転がる石で遊ぶ子供たち 
そこを歩くと垣間みる    世界遺産のなかに流れる日常













































でも今彼らにとって
それは平穏なものであるのかと

世界遺産としての町並みのなかに住む人々と
そこを訪れる年間相当数であろう観光客

その境界の線引きは とても難しいものではないのかと 
そう思わずにはいられませんでした

多くの木造家屋は間に中庭を挟む 奥行きのあるもので
多くの人々は土産物屋を営み いまも外来から訪れる者たちを迎え入れています












































船での交易が行なわれていた当時 遥か彼方からやってくる人々を
彼らは「意識」して迎え入れることができたはず

でも今は 飛行機に乗ってやってくる人々が
いつの間にか  その町を埋め尽くしていて

住民の方々のなかには 家を貸家にして そこから出て行く人がいたりして
次々と建つ建造物が  その景観を少しずつ変化させていて

昔の写真に見られるような “日本橋”の後ろにそびえていた木々を
いまはもう見ることができませんでした



そして その刻々と変化していく町を見守る チャンパの聖地ミーソン遺跡
900年に渡って刻々と改変を加えられていった遺跡は 東南アジアでも珍しく

アメリカの爆弾による跡さえも ミーソンは自らの歴史の一部として 
そこに抱え込んでいるようでした






























変化とは  自然なものであるけれど
多くの観光地で見られる変化は 
どれも1つの方向に向かおうとしているように思います 

今日も変化を続けているホイアン
でもそこに残る時間の流れは まだまだ多くの人を魅了するもので

その町は そこに生きる人々を 大きく見せる力を持っているようにも思いました














































三日間の滞在の後バスで  古都フエへと向かいました 

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