2011年2月25日金曜日
hair cut
カンボジアの美容室
でもここは韓国の方が経営しているところで
価格は5ドル カンボジアではかなり高いほうです
路上美容室?なら50円とかで切れるんですが
こっちにいると いつかは行くこととなる美容室
今回は研究室の方が行くとのことで 自分は切らずに視察に行ってきました
ceremony2
2月8日
村の男性たちが集まり、村中を練り歩きます
500リエルか ノムニエルか お酒か
大声を出して進み
家の前を通り過ぎる時 家々から女性たちが出てきてお供え物を差し出します
500リエルが ノムニエルが お酒が
多くのお供え物が集められました
これまで準備してきた全てのお供え物が 一つの家に集められ
特異な衣服をまとった男性に ニャックター神が降り下りてきます
ニャックター神に続いて 祠に向かい
サンボー村には 主とされるニャックターのための祠が二つ 存在して
一つ目の祠は 「扉」 という意味を持っています
祠にお供え物を集め 音楽を奏でると
ニャックターの周りに精霊たちが降りてきます
降りてきた精霊たちがニャックターの周りにいた老婆たちに乗り移り
精霊たちの思いのままに 老婆たちは踊ります
老婆たちが白い粉で顔を塗りたくるのは 精霊たちが「美」を求めているからで
白い粉を塗っては 鏡を見て 喜び 踊ります
このサンボー・プレイ•クック遺跡群は かつては都城だったとされ
都城の東側に参道が伸びていました
人々は東側から訪れ 寺院そして都城へ向かっていったとされています
一つ目の祠は 「扉」 遺跡群の東に位置します
二つ目の祠は サンボー・プレイ•クック寺院郡のすぐ隣に
一つ目の祠で儀式を終えたニャックター神 そして人々は
田園の中を通って 東から 遺跡群のある西へ向かいます
東から 西へ はかなくも かつての人々が通っていたとされる方向へ
二つ目の祠は 「サンボーのすべてを支配する」とされる祠で
二つ目の祠には 多くの子供たちも集まり 多くの村人たちが ニャックター神を出迎えます
ここでも音楽が奏でられ 精霊たちが踊り ニャックター神が聖水を振りまきます
大人たちは 踊りに合わせて声をあげ
子供たちは 怯え 驚き 笑います
ニャックター神は来た道を戻り 降りおりてきた家へと戻っていきました
彼らはこの儀式は遺跡と共に受け継がれてきたものだと考えていて
村の豊穣を願う この儀式は こうして4日間を終えました
この4日間を 一番楽しんでいたのは やっぱり子供たちで
パチンコで森へ向かい 母親が作ったノムニエルを食べ 儀礼を目の当たりにする
大人たちが こうして儀式を執り行い
子供たちは 驚き 楽しみます
いつかは彼らが執り行う側になるわけで
こうして伝統儀礼が受け継がれて行く瞬間を 見ることができた4日間だったと思います
2011年2月24日木曜日
2011年2月23日水曜日
2011年2月22日火曜日
2011年2月18日金曜日
to child, to children
2010年2月16日にJST では、シェムリップの教員養成学生を対象に、
バイヨン寺院修復現場の社会見学会を行ないました。
バイヨン寺院は、言わずと知れた観光都市 シェムリアップに存在する遺跡
街のゾーニングも進み、例年多くの人たちがここを訪れます
カンボジアの地方遺跡
そこでは遺跡のすぐそばで遊ぶ子供たちや すぐそばで生活している人たちが
まだまだたくさんいます
そういった意味では、ここアンコール地域の寺院郡は 人々の「そば」から
少しずつ離れていってしまっているのかもしれません
今回は80人の生徒たちがバイヨンインフォメーションセンター
そして バイヨン寺院の修復現場を訪れました
バイヨンインフォメーションセンター、 バイヨン寺院では
多くのカンボジア人スタッフが中心となって活動しています
カンボジアは「支援慣れ」をしていると言われることの多いなか
歴史や修復について 彼ら自身で 語り 受け継いでいくという
この活動には、 大きな意味があると思います。
自分の子供に何を教え、伝えていきたいか
これを考えることも確かに大事なことだと思いますが
こうして、子供に ではなく 子供「たち」に何を教え、伝えていきたいか
それをみんなで考えていかなければいけないのではないでしょうか
教員養成学校の生徒たちは 将来先生として
子供「たち」の前に立ちます
この活動を通して 歴史への理解 という形で
彼らの「そば」に遺跡を近づけ
さらにそこに、彼ら自身の経験 思い出を積み重ねていってくれればと
感じました
明日から三日間、地方遺跡のコーケーに 発掘調査に行ってきます
2011年2月17日木曜日
Sambor ceremony
ボーン ラウン ロックター
2月5日から2月8日までの4日間
コンポントムのサンボー村で、ある伝統儀礼が行なわれるとのことで
参加、取材してきました
サンボー村は、サンボー•プレイ•クック遺跡群のすぐ北東に位置する村で
儀礼は、このサンボー遺跡群が かつて都城遺跡として存在した時から
代々受け継がれてきたといいます
カンボジアで今なお多く行なわれるニャックター神への信仰
土着の神様を祀る、精霊信仰です
サンボー村では、ニャックター神の好物は 亀と猿
とされ、儀礼のためにそれらを用意しなければいけません
2月5日
村の雰囲気は いつもと変わらず
村の男性数人が集まり 村の西に位置する池へと向かっていきました
亀を取りに行くのです。
しかし 池に到着する前に、この日は断念
村を挙げての儀礼と聞いていたのですが、この日も集まったのは4人で
サンボー村は街から離れた農村で 近年街に出稼ぎに行く男性も増え
年々とこの儀礼に参加する人たちも減ってきているようです。
2月6日
この日は村にも少し変化がありました
朝起きると、子供たちがパチンコで遊んでいます
大人たちを先頭に、20人ぐらいの子供たちが集まり
サンボー寺院の眠る森へと進んで行きます
「いた」 という声が響くとみんなが森の中を駆け回り
一斉に石を放つ 放たれた石が そこらじゅうから飛んできます
狙いは猿 だったのですが、今回は
村の男性たちが家を出て、食料を調達しに行く
こうして2日が過ぎました
2月7日
村が少し慌ただしくなってきたような
各家庭を訪ね歩くと 多くの家庭で女性達がノムニエルと言われる
日本でいうパンケーキのようなものを作っていました
ノムニエルは女性の乳房をイメージして作られ 豊穣を意味するもの
男性たちは家を出て食料を調達しに行く
女性たちは家で帰りを待ち 食事を作る
この儀礼は、こうしてカンボジアで続いてきた社会を暗喩している
と言っていました
2月8日、、続きはまた次回
2011年2月16日水曜日
2011年2月15日火曜日
2011年2月14日月曜日
2011年2月13日日曜日
ciTy
ベンメリアはまだまだ謎の多い遺跡
そして今日はもう一箇所
そのベンメリアの周りを
数々の寺院が囲んでいます
観光で来た人たちは南から入ることが多いのですが、本当の入り口は東側
その東側には貯水池が広がり 王道が続き 寺院が建ち並びます
人々は東から訪れ 参拝を済ませ
アンコールワットに向かっていったといわれています
こうして
人々が通ったとされるルートのままに遺跡を巡ると
当時の光景が浮かんできます
そして今日はもう一箇所
JSTの活動地となる アンコールクラウ村に
2011年2月12日土曜日
Beng Mealea
今日はアンコールから東に向かった
ベンメリアという遺跡の確認調査に行ってきました
ベンメリアは「天空の城ラピュタ」のモデルとされる遺跡
まだまだ謎の多い遺跡です
北側の城壁がないとされていたのですが
今日鬱蒼と茂る草木のなかをかきわけていくと
今までに確認されていなかった遺構などを発見することができます
GPSを頼りにこうして歩いてみるだけで そのような発見があるのです
今は乾期ということもあり 草木も少なく、
川も水が涸れ 川底を渡っていくことができます
しかしまだまだベンメリアの北側は 地雷が埋まっているとされ
調査として歩いていくさきにも立ち入れない場所に突き当たります
撤去作業が終わっているところを歩くのも
少し怖くて
この近くで住む人々の気持ちは計り知れないものだと
そう感じました
写真はそれとは関係ありません
サンボーの近く オークルカエ村の写真です
ベンメリアという遺跡の確認調査に行ってきました
ベンメリアは「天空の城ラピュタ」のモデルとされる遺跡
まだまだ謎の多い遺跡です
北側の城壁がないとされていたのですが
今日鬱蒼と茂る草木のなかをかきわけていくと
今までに確認されていなかった遺構などを発見することができます
GPSを頼りにこうして歩いてみるだけで そのような発見があるのです
今は乾期ということもあり 草木も少なく、
川も水が涸れ 川底を渡っていくことができます
しかしまだまだベンメリアの北側は 地雷が埋まっているとされ
調査として歩いていくさきにも立ち入れない場所に突き当たります
撤去作業が終わっているところを歩くのも
少し怖くて
この近くで住む人々の気持ちは計り知れないものだと
そう感じました
写真はそれとは関係ありません
サンボーの近く オークルカエ村の写真です
Still alive
人々の体は失われても
昨日も
優れた考えや芸術は文化として残り 継承されて 生き続けるものです
美しいということはそれが生き続けていることなんです
保存修復ということは 物だけでは片付かないところがある
生きた人間も救わなければならない
日本画家としてシルクロードを渡り歩き 文化財保存に取り組んだ
平山郁夫さんの言葉です
これまでカンボジアで活動してきて 昨日、初めて平山郁夫さんのこの本を読みました
今に生きる人たちが 遺跡を 今に生きるものに
昨日も
奈良文化財研究所の考古学者の方々
タイから歴史学の先生方が来て
ここBayon寺院では日々多くの人たちと話しをする機会があります
知っている人も多いと思いますが
タイとカンボジアの戦争
予定されていた発掘調査も中止になり
遺跡の壁には弾痕が刻まれていきます
大きな影響力を持つ世界遺産
その影響を受けるのも与えるのも 今に生きる人たちです
2011年2月10日木曜日
Siem Reap
今日は午前中 バイヨンについての調査報告書を読み
その後 JSAのテクニカルアドバイザーの一太さんと共に
バイヨン寺院の現状、今後の発掘調査の予定地などの下見に。
午後のミーティングを終えた後、一太さんと共に
アンコール・ワットの外周壁をランニングしてきました 夢のようなランニング
現在のアンコール調査に伴う様々な問題、
アンコール・ワットの外壁構造など、走りながら色々と教えていただきました
アンコール・ワットの外周壁は一辺が1kmほど
最初は色々と質問しながらのランニングが
最後の一辺あたりから 何も喋れなくなりました
シェムリアップは、完全に観光地化が進んだ街
先週まで滞在していたコンポントム サンボー村とは 大きく異なっています
サンボー村での話しに戻します
いつもお世話になっている家族
夜は当然明かりもなく ろうそく一本の火をみんなで囲んでの食事
壁を見ると みんなの影が大きく映ります
その影は どことなく冷たくて
人が持つ冷たさを 吸い込んでくれているかのようで
「家」に住んでいるというか
その「土地」に住んでいる
そんなふうに 地面を感じることのできる場所
奥さんのお腹には子供がいて
元気な子が生まれてくれれば と日々思っています
2011年2月9日水曜日
Kampong Thom life
今日研修場となるシェムリアップに着きました
明日から
シェムリアップは日本でも有名な アンコール・ワットを有する州で
バイヨン、タプロームなど有名な遺跡群も数多く存在します
昨日まではコンポントム州に滞在していました。
このコンポントムから車で一時間ほどのところに サンボー遺跡群が眠っています
これら遺跡の紹介については 今後に
コンポントムでは SMEYの家に泊めてもらい
サンボーで祭典がある時は4日間 村にステイしました
祭典についても紹介したいのですが 長くなりそうなので これも後ほど
明日から
日本国政府アンコール遺跡救済チーム と
アンコール遺跡の保全と周辺地域の持続的発展のための人材養成支援機構
での研修が始まります
2011年2月4日金曜日
Phnom Penh' life2
今日 久しぶりに samborに行きます
プノンペンの大学にも行ってきました
明後日からサンボー村で、大きな儀式の祭典が三日間あるみたいで、
その前に 昨日に引き続きPhnom Penhでの生活を
泊まった場所は、友達の家
プノンペンの大学にも行ってきました
大学の教室は、両側が窓の教室で
授業中に雀が行ったり来たりしています
というか、教室の中に巣があって
でも驚きなのは それに驚いているのが自分だけ ということで
カンボジアの家も教室も、それぞれが完全に隔たれることなく、
隣の家の音、隣の教室の音、色んな音が行き交っています
生きる音 と 贅沢な音
きっと贅沢な音は他人にとって不快なものになってしまって
生きる音 と 贅沢な音
その境界線が、日本とカンボジアでは大きく違っているんだと思います
明後日からサンボー村で、大きな儀式の祭典が三日間あるみたいで、
それに参加、取材してきます
なんとも、パチンコ?で、猿を捕まえに森に行くとのこと
小野路の人たち必見です。
最後に、テリーさんの子供たち
2011年2月3日木曜日
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