2011年10月18日火曜日

" TOKI TO INOCHI "

歴史が記し残された "碑文"































今も多くのクメール寺院で目にすることができるこれら碑文には

奉納された神や 王の名前 年代 
さらに建設に関わった奴隷たちの名前や
周辺村落からもたらされた税の品々

当時の様子が描かれ 後世へと伝えられています 


サンボー寺院の扉にも残された碑文
当時 碑文を彫り 残そうとした人がいたその場所で
今  子供たちがそれを読み解こうとしています











































当時 人々は 寺院にどんな信仰を寄せていたのか どんな想いを抱いていたのか
目に見えないそれらを知るのは きっと難しいのだけれども

今  彼らがそれに寄せる信仰 寺院と共に生きる想いが 確かにそこにはあります


お米で生きる村人たち
稲作を主な家業にする彼らには
雨を呼ぶために皆が集まり祈る寺院があって


家族と生きる彼らには
子供を授かるために赴き祈る寺院があります 


村人たちの家の中には 稲が飾られていて

人は体のなかに12の魂を持ち     そして
稲のなかにも同様に12の魂があると  そう信じています

その魂がひとつでも欠けてしまうと
人は病気になり  稲は弱ってしまう

だからお互いをそばに置いて 暮らし 
お互いの様子を見守っていて

健康を祈り 豊作を望んでいると



でも今 多くの被害を出している水害

彼らが古くから崇めていた "水"
寺院の内部に奉納された神像で 聖水を作りだしていた彼ら












































でも今はその水が 多くの人を苦しめています

サンボー遺跡群でも 連日続く雨によって倒れた大木が寺院を崩壊させていて
扉に碑文が刻まれていたひとつの寺院が     そうして役目を終えました











































































歴史の営みが続く場所
そんな場所で また一人 女の子が生まれていて

































壊れゆく   過去と
生まれきたる 未来


彼らの生活は 受け継がれてきた営みそのもので

何かを信仰するということは
実はそのものを畏れているということ

しっかりと息づいた " 時 (とき) " のなかで
彼らの目はそれをしっかりと捉えているようで



































人が生きるために 何かが犠牲になるように

実は人は 自らが思うほど幸福でもなければ 不幸でもないようで

何かの幸福の隣には 必ず何かの不幸があって
































でもそれこそが   繰り返される時と命の営みなんだと思います

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