2011年8月9日火曜日

Thailand...
































タイの話しを少し
そこからもう少し話しを広げます   その前に

先日JASAが修復作業を行なっていたバイヨン寺院南経蔵が  

無事

その全行程を終えました

建築班 考古班 ともに築いてきた5年間が
こうして新たな姿として 史実の一部として
今 バイヨンにあります

そして それは 
カンボジア人スタッフが中心となって築いた 未来 でもある気がします


タイの話しに戻ります
タイで訪れた 『幸福な夜明け』を意味するスコータイ



































かつてタイ初の独立王朝として 
タイ文字の考案 スワンカローク陶磁器の生産  
美しい仏教文化が築かれていたそこは  現在
スコータイ歴史公園として その歴史が公園化された場所でもありました

でもその昔は遺跡とともに暮らしていた人々がいたはずで
遺跡が公園化される時 人々に下されたであろう転居命令

現在のスコータイ歴史公園には    ひと気はなく
美しいほどに整備された道や そこに植えられた花々

その場所に咲く花々は 枯れることなく永遠に咲き続けているのではないかと

そう錯覚してしまうほど
公園化によって スコータイに流れていた時が止まってしまっていて

その夜明けはどこか悲しくて 
夜が明けてもそこに広がる今日は  まるで昨日と同じであるかのようで

































「止められた」歴史を スコータイで目の当たりにしました


































今も世界各地で起こり続ける 世界遺産 文化遺産を取り巻く問題
その影響を一番に受けるのは そこに住む人々で

世界遺産とはつくづく政治的なものであると そう感じてしまいます

ある遺跡が観光地として注目され そこに多くの観光客が来るならば
世界遺産登録されることにより  そこに多くのインフラが整備されるならば

そこに住んでいる人々が感じる 辛さや やるせなさは 考えるに値しないものなのでしょうか

今回読んだ本には こう書いてありました

あなたの街に一つの小さな地下室があって
そしてその地下室には一人の女の子が閉じ込められて生活している

街に住む多くの人はこの女の子のことをいつでも助けることができます

でも その子を助けると 街に住む人々全員が不幸になるとする
そうすると人々はどうするのでしょうか
その女の子一人が悲しい生活を送れば 他の人々は幸福な生活を送れる
見て見ぬ振りをして過ごすのでしょうか

多くの人が楽しむことができるのならば 誰か1人の犠牲があっても構わないと思うのでしょうか

観光地で起きていることは 何だかこれと似ている気がします

その後の利益のために そこに住む人々を強制移住させる
文化保護の名の下に  生活空間を文化遺産登録する
文化を売り物にし   観光地化する

多くの人がそこを見て楽しみ 感動し 写真が撮れるのならば

たとえ文化遺産となった空間に住む実に8割の人がそこから出て行ってしまう結果をもたらしたとしても 

全体の幸福を考えれば許されることなのでしょうか

そしてそれが許されているのが現状で


でも思います
不幸と幸福は 1:1で考えられるものなのかと

不幸に感じている人が 「もしこれができたら幸せだ」と感じている状況があって
そして実際にその状況にいる人が それを幸せだと感じているのだろうかと

地下にいる子が 地上に住む人々は幸せだと思っていても
地上に住む人は その幸せを実感し それで満足しているのでしょうか

水がない人々が
食べるものがない人々が
お金がない人々が
服がない人々が

それが 「ある」 ことが幸せだと願っていても

実際に 「ある」 人々にはいつしかそれが普通になっていて


そしてバンコクで訪れた水上マーケット 
かつてはそこに住む人々が商いを行なう場所であっただろう その場所は
観光客で溢れた異様な空間でした

浮かぶ船に載せられたものは 多くは観光客を相手にしたもので
売るものも 売り方も そしてその動作のリズムも以前とは異なってしまったものではないかと
そう感じずにはいられませんでした


































観光客が増えて 商売をする
それは彼らが 自由に 選択したものであると思うかもしれません

でもお金をたくさん持ってる観光客がたくさん来たら
そこの人々が商売でお金をたくさん稼げるのではないかと考えるのは当然のことかと思います
ない ものを ある ようにしたいと思うのは当然のことで
もし彼らが貧しかったとしたら 毎日の食べ物に苦労していたとしたら

商売を始める 自由 は その環境が与えた唯一の選択肢だったのかもしれません

そうして そこに住む人々の生活は変わり その文化も変わっていってしまうのだと思います

最近思います
僕はサンボーが大好きで そこに住む人々が本当に好きで
でも日本から見たら サンボーにはそのほとんどが ない はずで 
でも何でこんなにサンボーが好きなのだろうかと

世界遺産にならなければいいのにと 少しそう思ってしまいます


本当に 遺跡や遺産は何のためにあるのだろうかと
歴史を知ることは 今を生きる人々に何をもたらすのだろうかと


でもこうした遺跡や遺産 そして歴史が映し出すものは
過去であり また 未来でもある気がします

過去は ない ものばかりで 未来は ある ものばかりで
でも過去はいつでも 行き過ぎた未来の帰りを待ってくれているような気がします

こうして一年間カンボジアで活動させてもらっている今

この何年か後
考古学で歴史を学んでいるからには  サンボーや多くの観光地の現状を見ているからには
そこに少しでも貢献した そして少しでも見つけ出した未来の上に立っていたいなと思います

まだまだ分からないことだらけで
でも今後考古学の世界では大きな発見が成されていくわけで

サンボーも色んな変化があると思いますが

何年か後サンボーに来た人達が
「ない」場所に 「実はあったもの」 を見つける  
そんな小さな発見が出来る場所になっていたらいいなと
そう思います







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